智翠館特別コース 合格体験記
京都大学 医学部 保健学科 検査技術学専攻?上田 愛瑠萌さん
? 中学3年の12月、三者面談で担任の先生に言われた言葉は「どこでもいいから早くどの高校を受けるか決めてくれ。」でした。私は、その時期にまだ志望校を決めてない状態だったのです。地元の高校には、怖い先輩がいたので、行きたくなく、かと言って行きたい高校もなかったのです。そこで、中学校の先生の勧めもあり江の川高校の智翠館をとりあえず受けてみることにしました。
私の智翠館の志望理由はこのようなものでしたし、受けたころは智翠館に入学するとは思っていませんでした。しかし入試の後、智翠館の先生から説明を受けました。すると、国公立大学入学のためのカリキュラムが組まれていることがわかりました。私は、国公立大学にしか行く余裕がなかったので、なんとしても国公立大学へ現役で行かなければなりませんでした。もう一回入試を受けるのは面倒くさいし、これはいいかも!と思ったわたしは、この智翠館へ入学することに決めました。
入学して、1年から3年の夏頃までは出された宿題以外はほとんど勉強していませんでした。1年の夏には野球部が甲子園に出場し、その応援に夢中になったり、1年の後半から吹奏楽部に入部し、吹奏楽部の仲間と楽しく、時には辛い練習に汗を流したり、体育祭、文化祭、百人一首大会と行事はとにかく楽しんですごしてきました。その結果、勉強だけでは得ることのできなかったであろうモノもたくさん得ることができたと思います。
しかし、やはり勉強からも多くのものを学びました。3年になってからは、担任の先生の態度も厳しくなり、やや戸惑う面もありました。部活も夏の県大会が近づいてきて練習が厳しくなっていく中、パートリーダーをしていた私に「両立」という壁が立ちはだかりました。一時は勉強を理由にして吹奏楽から逃げの姿勢になってしまったときもあり、部活のメンバーにはひどく迷惑をかけてしまった時期もありました。しかし、吹奏楽の顧問の先生や智翠館の先生に支えられ、時には叱られ、時には励まされ、最後まで吹奏楽をやりきり、気持ちよく受験勉強へ取り組むことができました。
しかし、4月から受験勉強を始めていたみんなは私より勉強時間も多く、追いつけていない面もたくさんありました。成績も下がってしまった時期もあり、落ち込んだときもありましたが、智翠館の仲間にもおおきく支えられて立ち直ることもできたし、最後までみんなで頑張ろうという明るい雰囲気で受験期を乗り越えることができました。 合格発表の日、不安と緊張の中で開いた用紙に自分の受験番号を見つけたときは、安心と喜びでいっぱいでした。(ただひとつ心残りなのは、担任の先生に合格の電話をしたときには、先生方がもうすでに私の合格を知っていたことです。)
以上のように、私はこの江の川高校智翠館でとても充実したかけがえのない体験をいっぱいしました。これも、いつも私たちが勉強に打ち込みやすい状態にしてくれたり、私たちのことを考え、いつも全力で私たちを人間としてすばらしい人に育ててくれた先生方や、辛いときはお互いに励ましあい助け合える仲間の存在のおかげだと思います。本当にありがとうございました。
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?千葉大学 園芸学部 生物生産学科 濱野奈津子さん
?私は、千葉大学に入学しました。わたしの中学校時代の成績はお世辞にも良いとは言えず、智翠館にもぎりぎりで入ったので、正直なところ、国立大学に合格できるとは思っていませんでした。智翠館で、わたしは講習の後にある数学の授業を受けていました。その授業がなければ、わたしは大学に合格できていなかったかも知れないといっても過言ではないと思います。数学以外の教科でも、先生方の言われたことをしているだけで、かなりの学力がついたように思います。
最初のほうは智翠館に入ったことを後悔したこともありましたが、いまでは智翠館に入って本当に良かったと思います。智翠館は先生方にも恵まれていて、本当に勉強をするのに最適な場所だと思います。智翠館に入っていなければ、わたしはきっと大学に入学していなかったと思います。本当にありがとうございました。
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?東京大学 文科Ⅲ類 滝野恭平君
?私は中学三年の夏には智翠館に入ろうと考えていました。それ以前では自分の行きたい高校を一つに定められないままでしたが、体験入学で様々な高校を訪れた結果、やっと智翠館一つに絞り込むことができました。決め手は校舎が綺麗で、勉強環境を整えており、そして少人数であったことです。前者はどうせ勉強するのであれば気持ちよくしたいという願望を満たし、後者は先生方が生徒一人一人を見てくれるだろうと期待できました(この点は後に私が東大を本気で目指すきっかけになるのですが…)。
幸いにして智翠館に入学を許可され、智翠館の一員となることができましたが、入学して初めてわかった魅力もありました。それは智翠館は特進学校という名前から想像される常に緊張感に満ちたギスギスした世界とはまるで無縁の先輩と後輩、先生方と生徒間の距離が近いアットホームな空間であることです。この雰囲気は単に居心地がいいというだけに留まらず、先生や先輩に質問に行きやすいという点もありました。
私は入学してからも具体的にどこの大学にしようかなどとは考えていませんでした。故に一番最初の模試で第一志望を東京大学と書いたのです。勿論結果は最低のD判定であり、その次の模試も同様でした。そして二学期中頃の模試には、東大はあまりに高い目標と思い、第一志望を筑波大学と記入しました。普通であれば志望変わっただけと流されるはずの何気ないことでしたが、担任の先生はそれを見逃さず、すぐに私を呼び出しました。そして私にこう言ったのです。「日本最高の大学、東大を目指すと書いたならば、最後まで通すのが筋ではないか?」と。この言葉が無ければ私は東大をさっさと諦め、妥協していたかもしれません。今から考えると先生は一度の妥協が次々と妥協に繋がり、結局不満足な結果になると考えていたのではないかと思います。先生の真意はわかりませんが、少なくとも私はこの言葉を機にやる気を喚起され、本気で東大を目指すことにしたのです。
しかし三年の一学期まではセンター模試でさえ結果は振るわず、辛い時を過ごしました。しかしそんな時を目標を失うことなく、努力を続けることができたのは、厳しい言葉ながらも常に私を励ましてくれた担任の先生がいたからです。そしてついには夏休み明けの模試では学年一位をとり、東大を受験する目処がたちました。その後も先生方の献身的なサポートもあり、センター本番では自己最高点をとり、東大を受験することができました。しかし直前期に成績は伸びたにも関わらず、奮戦虚しく結果は不合格でした。両親らは私立で妥協したほうがいいと勧めましたが、諦めることはできず、一年だけという約束の下、浪人しました。
智翠館で下地ができていたのか、東大クラスでもそれなりの位置にありましたが、浪人生活は塾、寮生活ともども想像以上に過酷なものでしたが、そんなときに支えとなったのは、家族との会話と再び智翠館に帰るという思いでした。また卒業証明書などが必要になり、智翠館に電話をかけるときはいつも全ての先生が代わる代わる私を励まし、勉強する気力を得ることができました。そして3月10日、合格通知を手にすることができた瞬間、四年間の思い出が走馬灯のように浮かび、腹の底から喜びの叫びをあげました。誓いを果たし智翠館を訪れたとき、全ての先生と抱き合い喜びを分かち合いました。
最後に、この文章を読む皆さんへ、どうか自分が持つ最高の目標のためへの努力を惜しまないでください。もちろん今そんな目標など思いつかなくてもかまいません。遅かれ早かれそのような目標との出会いは必ずあります。最高の目標はとても高く、そこに到達する道はとても険しいものです。つまずき転び、もう立ち上がれないと思うことがあるかもしれません。そんなときはもう一度胸に手を当てて、本当にこれ以上無理なのかと考えてみてください。きっとまだ立ち上がるための力が残っているはずですから。努力した者が必ず成功するとは限らないものです。しかし成功する者はすべからく努力しているものなのです。私を学校生活の三年間と浪人生活の一年を支えてくれた江の川と智翠館に感謝の念を抱きつつ、この文章を終えようと思います。本当にありがとうございました。
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広島大学 医学部 保健学科 作業療法専攻 佐々尾亜美さん
高校受験を目前に控えた中学3年の冬、それまで私は公立高校だけを受験しようと思っていました。しかし、両親の心配もあり、滑り止めとして智翠館の受験を考えるようになりました。その時の私は智翠館について何も知らず、自分で調べるだけでなく実際に話を聞きに行かせて頂いたりもしました。その結果、最終的には智翠館の少人数制に惹かれて専願で受験することにしました。
私は中学の頃から積極的に質問したり話をすることが出来なかったため、普通の高校のように1学年に何クラスもある所では今の状態ではいられなかったと思います。智翠館はただ単に少人数での授業を行う所、というだけでなく、私のように自分から動きに行かない生徒の事も気に掛けて下さる、とても有難い場所でした。
また、クラスの全員が志望校合格を目標とし、お互いに教え合い助け合える環境は、それまで与えられたものだけをしてきた私にとって良い刺激になりました。
今私は、3年前に目標としていた以上の大学に入学し、中学生のときからの夢だった作業療法士を目指し、日々単位取得に頑張っています。合格発表の時に自分の番号を見付けた時の驚きと喜びはまだ忘れられません。今のこの生活と感動を得る事が出来たのは、3年間本当にお世話になった智翠館の先生方やクラスメイトの御陰、そして高校受験直前の心配症な両親の御陰だと思っています。ありがとうございました。